岡山市中区に位置する沖田神社は、新しく開拓された沖新田の産土神として建立され、四季の祭りや子供会陽など今も地域の人に親しまれ、初詣では多くの人が参拝に訪れます。さまざまなところに潜んでいる「隠れ白蛇」などもあるそうなので気になった方は参拝して探してみてくださいね。

岡山屈指のパワースポット

今回は岡山市中区の百間川沿いにある沖田神社に行ってきました!

岡山の発展につながった沖新田開墾の神様を祀る神社なんだよね!

そう!当時の岡山藩は財政難を抱えてて、なんとか状況を打開するために、池田綱政お気に入りの津田永忠に命じて沖新田を干拓してお米を作ったんだって

すごいね!参拝したら金運が上がりそうだよ

そうだね!境内には面白いパワースポットもあるし、王道から変わり種までたくさんのお守りが並んでるよ!

よーし!僕もパワーチャージだ!

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寄せ宮と呼ばれる沖田神社

沖田神社の境内には本殿以外に、道通宮、稲荷神社、天照皇大神宮、胸形神社などいくつかの神様が各地から集まり一緒に祀られています。
ちなみに岡山のサッカークラブであるファジアーノ岡山も活動拠点となっている政田サッカー場の氏神さまが沖田神社ということで新年には沖田神社で必勝祈願を行っているよ。

境内入り口には池田綱政公の末裔であり、16代目当主だった池田隆政さんのお名前も。

引越しを繰り返した沖田神社

当初は現在の岡山市福島にある住吉宮に鎮座されていたところ、元禄7年9月3日に、旧沖田神社(岡山市沖元宮地在の古宮様)へ遷宮されました。しかし境内の土地が低く大風・高潮・洪水の被害を受け、拝殿にまでも水が入り込む事があったので、宝永6年(1709)現在の沖田神社の地に移転しました。

はるばるこの地に遷宮された道通宮

道通宮は、かつては笠岡市にあったそうです。天正10年(1582年)の高松城水攻めで落城の際、城主清水宗治の次男・長九朗がかねてより信奉していた道通宮の使いの白蛇に導かれ、浅口群西大島御滝山(現在の笠岡市)に無事逃れる事ができたのでした。これにより、この地に道通宮を祀り、その後、子孫が沖新田に移り寛政12年(1800年)に道通宮を沖田神社境内に遷宮し、沖田神社の末社に加えられました。

「道通宮」とは道を開き通じ奉った神ということで名がつけられたと言われていて、祭り神は「みちびきの神」と言われる猿田彦命が祀られています。

お守りにお岩場、願い石まで!

沖田神社は家内安全、商売繁盛、交通安全、厄除け開運、八方除けなどご利益いっぱいのパワースポット。

境内にはずらりと並ぶ岡山県一!?の種類のお守りがあって、王道のお守りはもちろん、子供向けのキャラクターモチーフや変わり種のものもあるので「こんなの欲しかった!」が見つかるかも?

お守りだけじゃなくておみくじの種類もたくさん!

重い?軽い?願い石

本堂にお参りし、導通宮を過ぎると大小の「願石」と書かれた石がゴロンと置かれています。年代、性別でどの石を持つかが書かれていて、お願い事がある人は、こちらの石を持ってみて軽く感じたら、お願い事が叶う!重く感じたらもう少し神様にお願いしましょう。とのこと。う〜ん、、重いからもう少しかな。

お岩場

願い石を試し終わると、稲荷神社の左手に導通宮お岩場と書かれた順路案内があります。お岩場はぐるりと一周回れるようになっていて、ここはお願い事がある人は、それを願いながら本殿の周りを年齢の分回ると、お願い事が叶うそう。何回廻るのか、結構根性が必要です。

沖田神社を知るには岡山の干拓の歴史から

かつて岡山の県南の大部分は海でした。そこから安土桃山の時代より大小さまざまな干拓が行われ、その干拓の規模は「日本三大干拓」の一つに数えられるほど大規模な干拓だったそうです。
当時は児島や早島などは陸続きではなく「吉備の穴海」と呼ばれる浅海に囲まれた島でしたが、先人たちの干拓の努力により、現在は児島湾を囲む陸続きになりました。
その大規模干拓の中の一つ、沖新田の開墾は、岡山藩の藩政確立に大きな役割を果たした津田永忠が、綱政の命を受けて元禄5年(1692年)に着工し、驚くべき短期間で広大な新田が開かれました。
その沖新田干拓地の産土神として当時の岡山藩主池田綱政の命により元禄7年(1694年)に建立されたのが沖田神社です。

境内には干拓の功労者である津田永忠の像も建てられています。

境内に祀られている姫の伝説

実は沖新田の開墾にはある伝説があります。
順調に工事が進み堤防の完成が近づいていましたが、どうしても最後の潮止め工事がうまくいかず、永忠や家臣たちを悩ませていました。そこへ現れたのが永忠の屋敷で奉公していた「キタ」という女性。キタは自分が人柱にたち海の神様を鎮めましょうと申し出て静かに海中に身を投じました。キタの強い決意のおかげで海は鎮まり潮止め工事を完成することができたそうです。

永忠は「新田ができたあかつきには、そなたを氏神さまにおまつりして、いつまでも感謝する」と約束していて、おきた姫はおきた姫神社として境内に祀られています。

地元の学校では自分たちが住む土地の歴史を聞く課外授業があり、その伝説のお話も語り継がれています。

アクセス方法

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所在地 〒702-8001 岡山県岡山市中区沖元411
駐車場 あり
トイレ あり

公共交通機関でお越しの場合は 両備バスで沖元・津田 西大寺行きに乗車し、沖元バス停で下車。所要時間約40分ほど。

駐車場

駐車場は境内に10台程と、年末年始やお祭りの際には神社から徒歩5分程のところにある大型駐車場が利用できます。
普段は境内の駐車場を利用すればすぐ参拝できて便利です。

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