岡山県倉敷市児島は、日本を代表するジーンズの生産地として知られています。 その中でもジーンズストリートは、数々のジーンズブランドや工場直営店が軒を連ねる、デニム愛好家にとっての聖地とも言える場所です。
目次
児島ジーンズストリート
児島ジーンズストリートは、国産ジーンズの聖地として注目を集めています。
わいもジーンズ好きで、ここはよく通っとったわ。
この辺りに縁があるから思い入れもあるんじゃけど、児島のジーンズはやっぱ自慢じゃのぅ
そうそう、児島はジーンズだけじゃなくて、シャツとか洋服全般の質がええんよ
色んな有名メーカーのOEMとかもやっとったりするからなぁー
そういえば押し入れの中の服、ほとんど児島産にゃんね
よーしっとるの! 今は着物ばっか着とるけど、洋服は全部児島のやつじゃ
児島愛にゃんね
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このストリートは、岡山県児島地域に位置し、ジーンズメーカーが集まっている約400mの通りです。 さらに、児島ジーンズストリート周辺には、ジーンズやデニムに関連したカフェやレストランもあります。 ここで一息つきながら、美味しい食事やコーヒーを楽しむことができます。
ジーンズモチーフが至るところに!
児島ジーンズストリートでは、様々な場所でジーンズモチーフが目にすることができます。 街中にはラッピングされたジーンズモチーフのバスや自動販売機が存在し、デニムアイテムが購入できる自動販売機も設置されています。 また、休憩所にあるトイレもジーンズモチーフでラッピングされており、児島ジーンズストリートの雰囲気を演出しています。
さらに、道を歩くと頭上にはジーンズがぶら下がっている光景が広がり、まさにジーンズストリートの名にふさわしい魅力的な光景が楽しめます。 これらのジーンズモチーフは、児島ジーンズストリートの特色を際立たせ、訪れる人々にジーンズの魅力を感じさせています。
沢山のセレクトショップが魅力
児島ジーンズストリートには、約45店舗ものショップが集まり、ジーンズやデニムアイテム、繊維の街ならではの質の良いセレクトアイテムを取り扱っています。 各店舗は個性豊かで、独自のデザインや品質にこだわったアイテムを提供しています。 オシャレなカフェも点在しており、メンズ・レディースともに様々なショップがあるので、一緒にお互いの服を見てまわるといった、デートスポットとしても最適な場所ですね!

こだわりデニムもたくさん!
児島ジーンズストリートでは、万人受けするスタイリッシュなジーンズはもちろんのこと、玄人受けする旧式力織機で織られたデニム生地や、ユニオンスペシャルによる縫製といった、こだわりあるスペシャルな店舗もあります。

また、チェーンステッチでの裾上げは当然のようにできます。 ジーンズ愛好家にとっては、裾上げは重要な要素の一つであり、その独特な縫い目がジーンズの個性を引き立てます。 児島ジーンズストリートはその点においても魅力的であり、ジーンズ好きにとっては満足のいける買い物ができると言えるでしょう。 自分好みの丈に仕上げて、より一層愛着の湧くジーンズを手に入れることができます。
ジーンズストリート構想による再建
児島ジーンズストリートが形成されている味野地域は、かつては縫製工場で働く人々によって賑わっていた町の中心でした。 しかし、商店主の高齢化や後継者問題、郊外型大型店の出現などにより、味野商店街の中心的存在であるヨシオカヤも、かつては賑わいを見せていましたが、残念ながら長い年月を経て閉店せざるを得ない状況に至り、衰退が進んでしまいました。

そこで、地元のジーンズ産業を活用したまちづくりの構想が生まれ、平成21年に児島ジーンズストリート構想が策定され、平成25年には児島ジーンズストリート協同組合が設立されました。 児島ジーンズストリートはJR児島駅から約1kmの場所に位置し、国内外の年間約15万人の来街者が訪れる地に生まれ変わります。 なお、ヨシオカヤの跡地にはビッグジョンが入っています。

児島ジーンズストリートの近隣には国の指定重要文化財である旧野﨑家住宅や児島市民交流センターがあり、観光や文化交流の拠点としても注目されています。 地元のジーンズメーカーや関連施設が集まり、国産ジーンズの魅力を発信しています。また、児島ジーンズストリートは地域の活性化や雇用の創出にも貢献し、地域の誇りとなっています。
国産デニムのはじまりの地
なぜ児島のジーンズなのか。 国産デニムの始まりは、岡山県児島地域にさかのぼります。 1950年代、岡山県児島地域の繊維産業が発展する中で、児島で初めて本格的なデニムの生産が行われました。 さらに古くの岡山県の繊維産業は、江戸時代から綿花栽培をルーツとして発展してきたのですが、この発展の中で、綿花栽培、紡績業、綿織物、真田紐、足袋といった分野において豊富なノウハウが蓄積されており、その伝統の流れの中で、児島地域では学生服の製造がはじまりました。
戦後の昭和27年(1952年)頃から、学生服の素材として合成繊維が普及し、合繊メーカーの系列化が進んでいきました。 学生服の量産を先導した家守善平氏はその一人であり、倉敷市児島小川には彼の像が現存しています。 そんな中、紡績、撚糸、織物、染色、縫製といった産地一貫の生産体制が崩れしまい、特に学生服の素材を染色する業者にとっては、体制の崩壊は死活問題となりました。
一方、合繊系列に属さない学生服メーカーは、新たな道を探ることとなり、ジーンズに着目しました。 これが児島のジーンズのはじまりです。
国産ジーンズの始祖
昭和39年(1964年)の秋、マルオ被服(現在の株式会社ビッグジョン)では、尾崎小太郎社長(当時)を含む幹部3人が相談し、ジーンズの生産販売を開始することを決定しました。 彼らは早速アメリカのデニム生地メーカーからデニム地50反を輸入しました。 そして、昭和40年(1965年)の4月には自社で縫製したジーンズを発売。 これは国内で縫製されたジーンズとしては初めてのものであり、児島は「国産ジーンズ発祥の地」として知られるようになりました。

その後、昭和40年代にはジーンズブームが起こり、多くの新規参入メーカーが相次いで市場に参入。 児島地域は国内ジーンズ産業の中心地としての地位を確立し、数々のブランドやメーカーが誕生します。 国内外で人気を集める児島ジーンズの技術やデザインは高く評価され、その影響は国産ジーンズ業界全体にも広がりました。
ジーンズは当時の若者たちに人気があり、新たなスタイルとして注目され、これを機に、児島地域の一部のメーカーがジーンズの生産に乗り出し、独自の技術やデザインを追求していきました。 児島地域のジーンズメーカーは、伝統的な繊維産業のノウハウを活かしつつ、新しい素材や加工技術を取り入れることで、独自の個性を打ち出しました。 その結果、児島ジーンズは国内外で高い評価を得るようになり、国産デニムの聖地として知られるようになったのです。
アクセス方法
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所在地 | 〒711-0913 岡山県倉敷市児島味野2丁目 |
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オープン時間 | 各店舗による | 駐車場 | あり ※無料 市営駐車場は有料ですが、市営駐車場もオススメです |
トイレ | あり |
瀬戸中央自動車道の児島ICから車で約10分の距離に位置しています。 県道21号線(岡山児島線)のの近くに位置しているため、交通アクセスも便利です。 また、JR児島駅から北西に約1kmの距離に位置しており、徒歩での移動時間は約25分程度となっています。
トイレ
ジーンズストリート内にトイレあり、近隣施設、店舗内にもトイレあり

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